【71曲目】All Along the Watchtower (Bob Dylan,1967)
とうとう事故った!本エントリの文字無しで動画とAmazonのリンクを貼っているだけの状態のものをご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、予約投稿時間を間違えていたことによるミスです。お目汚し失礼致しました。まあ文字が入ってたら入ってたでいつもお目汚ししてるんですが。さて、今回は、前回の「Highway 61 Revisited」の次の次のオリジナルアルバムである「John Wesley Harding」より、動画も貼りましたジミヘンによるカバーでも有名な「All Along The Watch Tower (見張り塔からずっと)」でございます。なお、前作と今作の間にはバイク事故に伴う隠居生活時代というのが挟まっております。その所為もあってか、前回取り上げた「Highway 61 Revisited」よりもアレンジとしては非常にシンプルで、ともすればフォーク時代への回帰とも言えるようなシンプルな仕上がりのものが多いのが印象的です。さて、「All Along The Watch Tower」の話にうつりましょう。歌詞はAll Along The Watchtower / 見張塔からずっと (Bob Dylan / ボブ・ディラン)1968 - 洋楽和訳 (lyrics) めったPOPSなどをご参考に、いくつか補足的な引用などを行って簡潔にできたらなと思います。思っているだけかもしれませんが。
この曲の歌詞は、旧約聖書の「イザヤ書(21:6-9)」をもとにしており、そこにはバビロニア帝国の崩壊を予言している部分があります。そんな大昔の話を歌にしてもしょうがありませんから、これは何かの暗喩になります。バビロニアは当時の世界強国であり、「黙示録」にも触れられているように、その都市バビロンは、退廃と堕落の象徴です。となるとこの歌詞は、現代の世界強国の堕落と商業主義を批判したものだと考えられます。
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【70曲目】Like a Rolling Stone (Bob Dylan, 1965)
書いてたもの全部消えたー!ということで「僕と振り返るボブ・ディランの歩み」第4弾です。歌詞は「洋楽歌詞和訳なんてキアイとソウル : "Like A Rolling Stone"-Bob Dylan」などをご参考に。前作よりエレキギターに持ち替え歌声までロック仕様に変化したボブ・ディランは、1965年の今作「Highway 61 Revisited」でもその基本路線を踏襲しつつ、更にピアノとオルガンという新たな要素を加え進化していきます。そしてそんな折り生まれたのが大名曲「Like A Rolling Stone」だったというわけ。リスナーに「問い」を与える曲はもれなく名曲、というか別に音楽に限らずあらゆるアートの最も先鋭的な形式が「問い」だと思っている私のような人種にとって、How Does It Feel?と繰り返し問いかけてくるこの曲はまさにその始祖だったのだなと感激いたしました。また、非常に今日的な、大変整理されていて普遍的な「ヴァース・コーラス・ヴァース」の形式もこの曲では既に採用されています。くわえて、How Does It Feel?のコーラスを追いかけてくるアル・クーパーのオルガンがまたニクい。対旋律(カウンター・メロディ)の立て方みたいなのが、一時期割と(特に邦ロック界隈?)で話されていた記憶がありますが、そのお手本のような曲でもありますね。ああどんどん冗長になっていきますが、今作において恐らくディランは一つの到達点に辿り着いたとされているっぽいです。確かに凄みのあるアルバムです。
【69曲目】Subterranean Homesick Blues (Bob Dylan, 1965)
はい、「僕と振り返るボブ・ディランの歩み」シリーズの3回目でございます。 今回は1965
年のアルバム「Bringing It All Back Home」より「Subterranean Homesick Blues」です。Radioheadファンの皆様はこのタイトルにピンと来てる方も多いのではないかと思いますが、彼らのアルバム「OK Computer」に収録されている「Subterranean Homesick Alien」はこの曲をもじっているわけですね。さて、まず今作で最も特徴的な事柄は何かと言うと、とうとう電化したという点にあります。で、彼の辿ってきた経緯もありこれはフォークロックであるとかどうとか話題になるのですが、その流れを追体験していると、個人的にはどっちかっていうとブルース的なフィーリングのほうが支配的なんじゃないかなとも思います。フォークの貴公子がエレキギターを手にしたのですからその衝撃はさぞ強かっただろうと思いますが、そういった大胆な変革の一方で、アレンジとしてはフォークの弾き語りのようなものも複数収められており、意外と漸進主義的な側面も見えますね。あともう一つ指摘しておきたいこととしては、今後数回にわたって同様の出来事が起こる模様ですが、従来と違って彼はこのアルバムで大胆に歌唱法を変化させているという点があります。キャリアを経て不可避的に歌声の変わるボーカリストは少なくはありませんが、その多くが段々と上手になったり下手になったり、音域は狭まったり拡がったりという理由により行われるのに比して、彼は明らかに攻めの一手として、曲調に合わせて声色を使い変えているという点はかなり特徴的だと思います。また、拍内にメロディが収まらず半ば強引に捻じ込むような歌い方は、Subterranean Homesick Bluesをお聞きいただければわかるように、今作を特徴づける大きな要素となっております。日本においては、吉田拓郎や桑田佳祐、中村一義などに多大な影響を与えていると言えるでしょう。一説によるとラップの始祖だとかいう話もあるけどそれはちょっと眉唾のような気もしないでもないですが。まあ話はそれましたが、いまのところ彼のアルバムで一番好きな作品がこちらだと個人的には感じております。
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【68曲目】Blowin' In The Wind (Bob Dylan,1964)
「僕と振り返るボブ・ディランの歩み」シリーズ第2回目になります。今回は1964年の2nd アルバム、「Freewheeling Bob Dylan(フリーホイーリン・ボブ・ディラン)」より開幕曲であり彼の出世作であります「Blowin' In The Wind(風に吹かれて)」をご紹介致します。歌詞はこちらなんかをご参照ください。さてさて、出世作と先述しました通り本格的に日本語による記述が多いのが今作でありますので、基本的には引用等のみで手短に済ませたいと思います。昨日が冗長だったのもあるしね。
1962年4月、グリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス「ガスライト」の向かいにあった「コモンズ」で友人たちと長時間黒人の公民権運動について討論したはてに生まれ、「コモンズ」か「ファット・ブラック・プシーキャット」に座って数分で書き上げたと言われている。
「10分で書いた。古い霊歌に言葉を当てはめたんだ。多分カーター・ファミリーのレコードか何かで覚えたものだと思う。これがフォーク・ミュージックのいつものやり方だ。すでに与えられているものを使うんだ。」とディラン本人は述べている。
当時20歳のボブ・ディランが、1962年4月に作曲し、彼の代表作の1つとなったこの曲は、翌63年、ピーター,ポール&マリー(P.P.M.)が歌い全米2位の大ヒットとなった。そして、今に至る40年間に渡って歌い継がれている。
この歌には、ベースとなった歌があったのである。
わたしを競売台に立たせないでおくれ
もういい もうたくさんだ
わたしを競売台に立たせないでおくれ
おびただしい数の人が売られていった
親方の鞭はもうたくさんだ
わたしに降り降ろさないでおくれ
親方の鞭はもうたくさんだ
数えきれない人たちが犠牲になったこの『No More Auction Block(競売はたくさんだ)』という歌は、黒人奴隷の悲しみと自由への願いを歌っている。黒人女性ボーカリストが歌うこの歌に、ディランは、強い印象を受けたのだろう。彼自身がこの歌を歌った録音も残されている。そして、『風に吹かれて』の前半部分のメロディは、この曲から採られた。
『風に吹かれて』をカバーしたスティービー・ワンダーはこう語っている。「60年代のベトナム戦争。70年代のウォーターゲート事件。80年代の反アパルトヘイト。90年代の湾岸戦争。この歌が歌われ続けることの背景にあるものが、僕には悲しい」。
最後に引用しました、スティーヴィー・ワンダーの「この歌が歌われ続けることの背景にあるものが、僕には悲しい」というコメントを読むと、いまなぜボブ・ディランがノーベル賞を受賞しなければならなかったのかというところの背景についてのヒントにもなりそうですね。そして、同様のプロテスタント的なメッセージというのはこの曲に限らず、「Master Of The War (戦争の親玉)」等にも共通しておりますが、他方でアルバム全てがそういったテイストなのかというとそういうわけでもなく、「Don't Think Twice, It's All Right(くよくよするなよ)」のように、恋愛に関する歌なども収録されております。なお、今回紹介したこの曲は、ボブ・ディランの代名詞とも言うべき名曲であることもあって、同曲は他にも多数の大御所によってカバーされておりまして、それらのうちいくつかご紹介して、今エントリを締めくくりとさせていただきます。
The Hollies
Bee Gees
【67曲目】House Of The Rising Sun (Bob Dylan,1962)
数年前から噂はありましたが、まさか本当にとってしまうとは。ということで、このブログの本来の主旨とは大幅に離れてはしまいますが、ノーベル文学賞受賞記念・僕と振り返るボブ・ディランの歩みシリーズを始めたいと思います。いつもだったら1アーティスト1曲という原則に固執してきたこのブログですが、ではなんでそれを覆してこんなことをやるのかというと、大別すると大体3つぐらい理由がありまして、まず一つに、新規ネタを掘る時間がいまほぼ無いということ。その点、ボブ・ディランであれば先行の言及が日本語で山ほどあるのでかなりアクセスしやすい。特に彼を語る点でキータームとなるであろう歌詞の邦訳が沢山あるのが助かります。そして次に、僕がボブ・ディランをほとんど聞いてこなかったということ。いやこれが、案外聞く機会がなかったんですよね。まあポップスなんて、あれを聞いてないといけないとか、そんなオーセンティックなものであってはならないし、本来的には好きなものを好きなだけ聞くのが一番良いと思うんですが、他方でそれだけだったら今の僕が持っている知見がなかったのもまた事実であって、学生時代によくやってた、歴史を紐解くような聞き方が今のベースにあるのは確実なので、またそういうことをやってみたいと思った、というのがあります。そして最後に、学生時代にはわからなかったボブ・ディランの良さみたいなのが今聞くと何となくわかりそうになってきたというのがあります。なので、せっかくなのでこの機会に、ボブ・ディランをよく知らない皆さんと共に、彼の歩みを少しずつたどっていければ、といった企画をやってみようと思った、という次第であります。
さて、前書きが随分長くなってしまいましたが、記念すべき1曲目は1962年の彼の2nd アルバムであります「Bob Dylan」より、「House Of The Rising Sun (朝日のあたる家)」をご紹介したいなと。この曲が最初に広く受け入れられるのは、リリースから2年後の1964年の、The Animalsによるカヴァーバージョンがリリースされてからだったそうです。と言っても、元々この曲自体は、いわゆるフォークの古典としてはありがちな話だそうですが、我が国においては民謡などをイメージしてもらうとわかりやすいかもしれませんが、従来採譜などが行われて来た曲ではなく、作者不詳のまま歌い継がれてきたものだったそうで、最古の録音としては1933年のものがあるそうです。そういった点では、厳密にはアニマルズがボブ・ディランをカバーしたというべきではないのかもしれません。現にボブ・ディランも彼が多大に影響を受けたというウディ・ガスリーの1941年の同曲を聞いていた可能性は高いでしょうし、他にもブルースミュージシャンのレッドベリーなどもリリースしています。なので、この曲が受け入れられていった経緯としては、今日的な意味でのオリジナリティや作家性というよりは、彼の若干21歳とは思えない渋い嗄れ声と表現力という点、そして古典に新たな生命を吹き込むその解釈力という点だったのではないかと思います。そういえば、この時代といえば、ミュージシャンにおける作家性であったりとかオリジナリティの神話が駆動しはじめる前夜といった時代なので、こういった話自体は特段珍しいものではありませんよね。
次にですね、前フリ通り歌詞について言及しておくと、例えば「朝日のあたる家 訳詞」だなんて検索すると先述したAnimalsのバージョンも沢山でてきます。というかディランのほうは意外とまともな邦訳みたいなのが少ない。と、ここで、カバーにバージョンも何もないのでは?などと思われたかもしれませんが、実はAnimalsのバージョンとDylanのバージョンでは微妙に歌詞が違います。具体的には、「朝日のあたる家」が一体どんな建物なのか、という主題が違っており、Animalsのほうでは少年院や不良の掃き溜めのようなものがイメージされている一方で、ディランのほうでは娼館について歌われているようです。
他方で、サウンド的な話ですが、後にバンドアレンジになっていく彼の作品ですが、今作はアルバムを通して、ドラムもベースもない、完全にギターとブルースハープと歌声だけの世界です。音の構成要素というか、オケっぽい?言い方をすれば3パートしかないわけで、これは構成としてはシンプル極まりないものであって、そうなってくると個々の技量であったり味みたいなのがモロに出てくるわけです。そういう剥き出しのフォークうぃ聞いていて改めて感じたのは、広義のポップスの進化ってまんまテクノロジーの進化と完全に同じ歩調で進んできていて、時代を経るごとに技術や修練、職人性みたいなのが脱色されていった歴史なんだなということですね。もちろん、サンプリング時代、DTM時代特有の技術や修練というのは勿論重要ですし、他方では60年代以前の職人性みたいなのが今日において全く意味をなさないかというと全然そういうわけではないのですが、ただ閃きから実現までの間のタイムラグというか、技術的キャズムみたいなのがどんどん小さくなっていく歴史なんだなと再認識しました。要するに、楽器が下手でも、リズム感も音感もなくとも、ミュージシャンとして成立しうる範疇を広げていった歴史なんだと。ただどちらの時代にせよミュージシャンとして必要な共通する感性みたいなのもあって、おそらくそれがボブ・ディランのなかにもはっきりと根付いているがゆえに、いま現在に至っても現役で洗練されたサウンドを出し続けられている、といった話に今後の今ブログのエントリーとしては繋がっていくのかもしれませんね。あと、これはさらに余談にはなりますが、僕自身も様々な方向性の曲を書いたり演奏したりしてきたり、また他のミュージシャンも音楽的に様々なジャンルに手を伸ばしてみて、一方で成立して完成されたものになり、他方では方向転換に失敗したなどと揶揄される、その違いは何だろうというのをこれまで常々考えてきておりました。たとえばボブ・ディランはこの後ロックスタイルを取り入れ成功します。他にもビートルズだって実に様々なサウンドを消化していきました。そして近年でそういった越境の連続にも関わらず毎回毎回完成された作品をリリースしてきているバンドで最も成功しているのはレディオヘッドでしょう。ボブ・ディランを聞くまで、当初はその完成度の違いというのは、そのミュージシャンの、ジャンル別のサウンドの真髄やキモといったものを掴み吸収する力の違いなんだと思っていました。しかし、このボブ・ディランの1st アルバムを聞いて最も感じたのは、やはりボーカルこそが、越境に耐えうる完成度を実現できるか否かに決定的に大事なのではないかということです。つまり、ジャンルを越境しうるような普遍性を持ちつつも、他方では一度聞いたら忘れられない唯一性を持ち合わせたその歌声。ビートルズであればレノン・マッカートニーという稀代のハーモ二ストが、トム・ヨークでいえばヘンなのにめちゃくちゃ上手い、キモ上手さが、それぞれそういった域の歌声なんだと言えるでしょう。これはある意味、誰でもミュージシャンを名乗れる時代においては禁句というか、身も蓋もない事実なのかもしれませんし、そういった天才信仰のようなものはやはり覆されるものなのかもしれませんが、しかしながらこのボブ・ディランの歌声には、そういった神話性を呼び覚ましてしまうような何かが宿っていることは否定できない、そう感じた1枚だったのです。
【66曲目】In Waves (Slow Club,2016)
ウィルコ・ミーツ・ネオアコ!といった音色のアルバム「One Day All of This Won't Matter Anymore」(タイトルも良いですね)は2009年のデビューから数えて5枚目のアルバムになります、イギリスはシェフィールド出身の男女2人組インディバンド「Slow Club」さんです。知らなかったのですが彼らはインディ界隈じゃ結構有名みたいですね。日本でもCMで使われたりもしていたそうですが、それも納得のスムースさがあります。今年のトレンドではないのかもしれませんが、インディと聞いてまずイメージするのってこの手の音だよなあ、等と思わされる、間違いのないサウンドが聞けますので、ぜひオススメ致します。
One Day All Of This Won’t Matter Anymore
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【65曲目】Instant Karma (John Lennon,1970)
Plastic Ono Band名義の最後のシングルであります、Instant Karmaでございます。今まで何気なく聞き流していたこの曲ですが、ふと思い立って歌詞を読んだらハッとさせられてしまいました。いわく、Why on earth are you there, When you're ev'rywhereであると。一体全体なんであんたはそんなところにいるんだよ、どこにだって行けるのに。そ、そう仰られましても、そうですね、実は私には、もうその手の問いかけに対して奮起するような力が、反骨心が残っていないのかもしれない。そんな気が、ここ最近ずっとどこかにありまして、そうなのだ、おれはもう死んだのだ、あとは余生なのだ、自らとの対話を放棄し、 楽なほうに楽なほうにへと流れ、インスタントな業のなすがままに、輝くことを諦めたのであり、気付いたらもう死ぬような自尊心さえ私には一切無くなっておりました。音楽が終わって、人生がはじまる。この何一つコントロールできやしない人生という名の茶番が、どうやら始まろうとしているらしいのです。一体全体、そんなことがあってよいのでしょうか。でも、聞くところによるとどうやらあるらしいのです。クソッタレ。ジョンレノンさん、もう一度だけ僕に力をくれないか。僕にとってあなたの歌声は、今までただの一瞬でも、懐メロなんかであったことはないのです。